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掌編「シトラス怪談」

土曜日、友人が果物を詰めた籠を提げて

見舞いに来てくれた。 中身はオレンジやグレープフルーツで、

ナイフで切らなくても食べられるものばかりだし、 枕元に仄かに香りが漂うのもありがたく、

気持ちは嬉しかったが、量が多くて、 入院が長引くと考えられているなら嫌だな……

と思った。 羨ましいことに、

ルームメイトのうち二名が一時帰宅。 もう一人は四十になるかならないくらいの男で、

奥さんが現れて、

この後、親戚の家に向かうと告げられ、

わかったと頷いていた。

どことなく寂しい気分と混ざり合わない

柑橘類の芳香。 そう言えばグレープフルーツの和名は

何だったろうと調べたら、 これ以外の名前はないとの記述を見つけて

拍子抜け。

消灯後、トイレに行き、

廊下の窓から黄色い満月を見て、 あのグレープフルーツを食べようかと思ったが、

眠気には勝てなかった。 ウトウトしていると、

誰かが病室の戸を軽くノックした。 居残り仲間の男は

まるで待ち受けていたかのように、 ボリュームを抑えた、

それでいてハッキリした声で何やら短く返事した。 すると、扉がスッと開いて、

衣擦れと靴音が侵入した。 僕はただならぬ気配に身を竦め、

寝床を囲った間仕切りカーテンの内側で

息を潜めた。 言葉にするのは難しいが、

来訪者は香水などではない、

匂いとも呼べない空気を振り撒いて歩を進めた。 それは妙に重く、威圧的で、

室温がスッと下がったように感じられた。 服の上に白衣を羽織った風……だが、

大股の足音はカツコツと異様に硬質で、 患者を診て回るドクターのそれとは

明らかに違っていた。 時間外も甚だしい不正な来客が

医師に成り済ましているのだろうか。

「よくわかったね」 「満月だし、人は少ないし。条件が揃ってるから、

 顔を見せに来るんじゃないかと思ってた」

二人は小さな、だが、よく通る声で語らい始めた。 どうやら同室者が兄で闖入者は弟らしいが、

彼らの会話には犯罪の色が滲んでいた。

「そっちにカモがいるぜ」 「フン」 「そうか、

 おまえさんは女と子供しか襲わないんだっけ」 「フフフ」

有名な小説の一節を思い出した。 吸血鬼は部屋の主の許可がなければ中に入れない……

云々。 さっき、同室者は客を指し招く一声を発したのだ。 案の定、

「得物はあるから

 吊るし上げて血を抜いてもいいけど、

 逆の方が面白いんじゃないかな」

客は兄である同室者を殺して、

凶器を僕の傍らに置いて去ったら、

明朝どんな騒ぎになるか――という意味のことを

愉快そうに述べた。 兄もまた平然と、

「ははあ。『算術の問題です』ってヤツか」

二人の患者の一方が殺されていたら、

他方が犯人と見なされて当然と言いたいのか、

冗談じゃない! しかし、憤慨しつつ恐怖に震える僕を余所に、 彼らはしばし含み笑いのハーモニーを奏でただけで

静まり返った。 客は立ち去る様子もなかったのに、

その場で霧になってしまったように

フッツリ気配を絶った。 ゾッと皮膚が粟立ったけれど、

処方薬の副作用による幻聴か、さもなくば、 いつの間にか眠ってしまって悪夢に魘されたのだと

自分に言い聞かせて、枕を抱き締めた。

目覚めると、果実が一つ、

スッパリ切られて横になり、

ペティナイフを突き立てられていた。 ピンクグレープフルーツだったのか……

と思って顔を寄せ、まじまじ見つめたが、

そうではなかった。 果肉が血を流していた。 しかも、僕はまだ全然手をつけていないのに

籠の中の数が減っていたのだ。

「なるほど、確かに簡単な算術の問題だ……」

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